日々後ろ向き

世の中への不平不満愚痴

まさか三年経ってこれをまた更新する日が来るとは

ここは暗い、暗い、どうしようもない思いの掃き溜めです。

もうここを使うことはないと思っていたのですが、ついにまた、使う日が来ました。

三年の間、私はノートに恨み言を綴っていました。私を追い詰め、捨てた人間に対しての恨み言です。

 

おととしの秋、交際期間から数え15年になる夫と離婚しました。

夫と私は19歳の頃に出逢いました。出逢って三ヶ月で、避妊に対する意識の薄さから私は妊娠し、母と一緒に諦めてほしいと説得して堕胎手術をしました。

当時の私は、自分の将来のことや夫とどうなってしまうのかが不安で泣きました。

堕胎手術は痛くて苦しくておぞましいものでした。それから少しして、夫に「私は生まれてくる子供が可哀想で泣いたわけじゃない、自分たちのことが怖くて泣いた。私が子供を殺してしまった」と打ち明けたら、若かった夫は「俺は産んでほしかった。育てるつもりでいた。子供が可哀想で泣いた。自分のことばかりかわいいんだな、そうだな、おまえが殺したんだ」と言いました。

堕胎の影響でホルモンバランスが崩れたのだと思います。

メンタルはボロボロになり、何もないのに特定の場所に強い恐怖を感じたり、突然泣いたりしましたが、夫はそれにも気付かず就活に必死でした。この時点で別れるべきだったんです。

 

それから何年も経って、28歳で入籍しました。私は妊娠出産に関わるホルモンバランスの崩れを一度経験していますので、この時点で妊娠への恐怖はありましたが「こんな私を貰ってくれた相手に報いるには、子供を産むしかない」という責任感で、一度だけ排卵日を調べて子作りをしました。

きちんと妊娠しました。責任感や強迫観念で妊娠したものですから、無事に産まなきゃいけないと妊娠判明翌週に仕事を辞め、産婦人科に通いつめました。

お腹を下し、子宮が収縮していると言われ、眠れず産婦人科に連れて行ってと泣き喚いて、どうにか無事にこの子を産みたいと思っていたら、案の定。

心拍が確認できた数日後に、ぴたりとつわりが止まりました。もう心臓が動いていないと言われ、注射を打たれ、待合室でエコー写真を見る夫婦の横で祈るような気持ちで次の日確認に行ったら、繋留流産と言われました。私はまったく一人で、ひとりぼっちで赤ん坊が死んでいるから穿り出さねばならないと手術の説明を受け、張り切って付けたマタニティマークを駅のゴミ箱に捨て、泣きながら帰宅しました。

手術の間、夫は私の隣で「副業」にまつわる本を読んでいました。この先お金が必要になるので仕方ないと思い、堕胎した時と同じ痛みに耐えました。

元からあった妊娠出産への恐怖は増大し、性行為も怖くなりました。ピルを貰い、ピルとコンドームを両方使い、それでも夫と性行為をした後は妊娠検査薬で調べていました。様子がおかしいと決めつけて、ゆくゆくは子供が欲しいと言い続けてきた夫は私を精神病院に通わせました。

 どうにか諦めて、夫婦二人で楽しく暮らせないか、何度も頼んでみましたが、夫は頑なに態度を変えず、そのくせ浮気をし、仕事が不規則だったので会社に泊まり込みろくに家に帰ってこない状況でした。

 

 やがて、仮に私の精神が安定しても、そんな相手の子供を命を懸けて産むのかと思うと、なんだか、ぞっとするようになりました。産むも育てるも恐らくは自分任せです。

仕事が忙しいから手伝って貰えないでしょう。貯金はありません。毎月手取りが20万ほど、夫には7万渡して、カードも持たせていました。子供を産んだ所で、育て切る自信がありませんでした。妊娠による身体の変化への恐怖から、この人の子供を産んで大丈夫なのかという不安に変わっていきました。

 夫の子供への憧れは日増しに強くなりました。同僚の家族とスキーや温泉に行き、バーベキューに行き、お祭りに行き、まるで第二のパパのように、同僚の子供の運動会にまで参加し、もちろんその費用は私たち二人の生活費からねん出されましたし、違う家族と旅行に行くなら、二人でゆったり出掛けるのに休日を使ってほしいという私の願いは無視され、私は日曜日は、家で一人でご飯を食べ、一人で寝ていました。

 売り言葉に買い言葉だったのかもしれませんが、最初から子供が産めない体だったら、おまえなんかと結婚しなかった!と叩きつけられたこともあります。

 何度目かの浮気が発覚した時、夫はこう言いました。

「子供のいない生活にうっぷんがたまって、浮気してしまった」

「夫婦二人で旅行なんて行っても楽しくない、おまえと一緒にいても楽しくない」 

私の夫への愛情はすべて消え去りました。あちらも一緒だったんだと思います。

ある日、突然、会社に泊まり込んで帰らないからその間に身の振り方を考えろと置き手紙を残して出社してしまいました。今まで散々話し合いの最中に怒鳴る、ふてくされるを繰り返してきた相手なので、手紙でお互いの気持ちをやり取りしない? と最後の確認を取った所話すことはもうない、別れたい、と言われました。

 私は少しばかりの荷物をまとめて、自転車に積んで、実家に帰って来ました。

 

 離婚後、結婚当時に悩みの種だった病気に対する不安障害は消えてなくなりました。

結婚当時から働いていたコンビニで、シフトの日数を増やしてもらって、しばらくは実家にいましたが、実家も追われ、今は生活保護を受けながら暮らしています。

 

 恨みの筆頭は夫ですが、私は世の中のすべてを、憎んでいます。

 一番しんどい時に初詣で「私の大切な人々が幸せでありますように」などと腑抜けた願掛けをしていた過去の私のことも憎んでいます。ひどいことを言われて、離婚後にも親に、社会にめためたに苛められて、それでも「みんなが幸せでありますように」「誰も事も恨まないようにしよう」と必死に思っていた過去の私のことも、纏めてぶん殴ってやりたい。

 

 私を馬鹿にし、否定し、苦しめて、鼻で笑っているこの世のすべてのやつらが全員不幸になればいい。もう幸せになれなくたっていい。皆が全員不幸になって相対的に私が幸せになればいい。憎しみの筆頭は、元夫です。